2016-04-01

「蒼穹のローレライ」SS「嘘なんて大嫌い」

*ちるちるアワード2016での10位感謝SSです。
いつも応援ありがとうございます。
エイプリルフール用にご用意していたのですが、こんな晴れがましいことになり、
慌ててお礼用にと設置しましたのでちょっと暗い話となりまして恐縮です。
修正の時間が取れなかったので、誤字などがあるかと思いますが、
また後日、きれいなのを上げ直したいと思いますので、
お急ぎでない方はお待ちください。
本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします!
読者さんがくださった一票、お手紙の一通が次に書かせていただける機会を
わたしに与えてくれます。

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なんとなく考えごとをしていると、塁はふといつもの疑問に行き当たる。世の中には《それら》が溢れかえっていて、大手を振って歩いていて、皆が好み、それを生業にする人間すらいる。
《嘘》だ。
嘘自体は、塁にも理解できる。予科練のとき、積み上がっていた饅頭の箱からひとつ饅頭を取って食べた。悪いことなのはわかっていたが、心のどこかでこれほどたくさんあればひとつくらい食べてもバレないのではないかという気持ちもあったし、我慢ではどうにもならないくらい腹が減っていた。あとで点検したら、やはり自分が食べた分がひとつ足りない。
――浅群、貴様、饅頭を食ったか。
問われて塁は首を振った。嘘だったが、「まあいい」と見逃してくれる可能性や、もしかして数え間違いのようなので、もう一つ取り寄せてくれることになったら万々歳だからだ。一方、もしここで本当のことを言ってしまうと、教官が手にしている竹刀で身体中が世界地図のような青痣になるまで、叩かれまくるのは明白なのだから、逃げられる可能性が少しでもあるならば、白状するのは馬鹿正直だと思っていた。――そのときは結局、バレて叩かれるどころか夕飯を抜かれたのだが――腕立て伏せの回数を誤魔化したり、こっそり門を抜けて料亭に遊びに行った同室の男が、今日は部屋から一歩も出ていないと言っていたり、あの娘が好きでないと言ったり、その場凌ぎの言い逃れだったり、やむにやまれぬ経緯で嘘を吐くのは理解できる。
わからないのは、誰に得にもならない嘘だ。
例えば塁の父親が政府の金を使い込んでいると言ったり、外国人らしき男が母の元に通っていたのを見たとか、父が自棄を起こして自宅に火を放ったとか、毎日置屋に通っていて、六人も芸者を囲っていたとか、そんな嘘をついても誰もなにも得をしない。いいことは一つもないのに、他人について根拠のない嘘をついてそれをバラ撒く。なぜそんなことをするのか、塁には理解できなかった。もしもその嘘が生まれなくとも、誰も困らない。嘘をついたからといって助かる人間はいない。なのになぜ、人は嘘を吐くのか。
総じて塁は嘘が嫌いだ。
嘘とは虚構である。無い現実である。よしんばそれが将来本当になる可能性が微小にあったとしても、今のところはまったく役に立たないものである。
ここでもそういう嘘にはたびたび晒された。まずは「塁がアメリカ人である」という嘘だ。自分はたまたま目が青いだけで、父の子であり日本人の母の子である。それなのに当然の真実のように「浅群はアメリカ人」と言われるのである。貴様等は俺の父を見たことがあるのかと問い詰めたかった。実際何度かそうしたことがあるが「貴様は浅群大臣の息子だから、嘘くらい平気で吐くだろう」と言う。嘘を吐いているのはそっちだと、塁は反論した。父が横領していると、大蔵省から逃げて自宅に火を放ったと嘘を吐いているのは貴様等ではないのか、と。
あまりにもきりが無いのですぐに辞めた。反論しないことが真実の証だと彼らは勝ち誇っていったが、本当にもう応対できる回数ではなかったので、放っておくことにした。
盗難の犯人は、浅群だとよく濡れ衣も着せられる。誰かが嘘を吐いているのは明白だったが、濡れ衣を着せる人員なら、このラバウルには何万という将兵がいるのになぜ、自分ばかりなのか。これも自分がアメリカ人で目が青いから、そんな悪いことをするに違いないという憶測と嘘だ。これもそのたび嘘だとことわるだけで、根本的な解決はできそうになかった。
なぜ皆、理由もない、利益を生まない嘘を吐くのだろう。
いろんな理由を考えたが、塁には理解できない。
三上だってそうだ。
――塁の目は、きれいだ。
そんなわけはない。そんな嘘を言っても三上は一銭の駄賃ももらえない。いや、おべっかなら気をよくした塁がなにかを与える可能性があるのか――だがそんな嘘、見透かされているのだから、馬鹿にしているのかと塁が怒りこそすれ、三上になにも与えない可能性のほうが高い――。
そう考える一方で、本心だろうかと思う自分もいる。本当に三上はそう思っているのだろうか、あれは嘘ではないのだろうか。
だって三上は自分に嘘をついたことがない。
悪いことは悪いといい、U字の部品については真っ向から間違っていると言い、勝手に外そうとする。
自分が面倒くさい搭乗員とわかっていながらだ。他の整備員は一度殴りつけたり、怒鳴ったりすると、だいたい渋々反抗をやめる。三上だけは違った。三上の彼の誠をけっして変えない。
三上と暮らすと息ができそうだ。塁の世界の三割くらいを占めると感じている無益な嘘を受けずにすめば、楽に過ごせる。押しつぶされそうな無責任な嘘を押し返そうとせずにすむ。
「……」
ぼんやりと目を開けながら塁は考える。
戦闘に行って何とか無事に帰ってきたが、目眩がひどい。ぼうぼうとひどい耳鳴りがして、危うく零戦の翼から転がり落ちそうだったのを、三上に抱きかかえられてやっと寝所に戻ってきた。
最近出撃が立て続けだ。ずいぶん消耗しているらしい。眠っているわけではないつもりなのに、夢と考えごとの間をうらうらと行き来している。
襟元が暑い。飛行服は脱いだのだったか、汗を拭きたい。目が開かず、人差し指を掛けて襟元を確かめていると声が聞こえた。
「――塁」
三上の声だ。
「気がついたんですか、塁……!」
慌てた声の三上が自分を抱き起こし、手に水の入ったコップを握らせた。
「苦しいところはありませんか、怪我は」
「……被弾していたのか?」
戦闘の最後の方は覚えていない。撃たれた記憶は無かったが、三上の慌て様を見るとまともに球でも食らったのか。確かに離脱後に敵機に追われた記憶はあった。そのあとどうなったのだったか――。
「いいえ、目立った被弾はありません」
と言う三上ははなをすすっている。悲愴な声だ。泣いている様子に、ああ、と思い当たって塁は尋ねた。
「何……機……還ってきた……?」
また撃墜が知らされたのだろう。
空中で二機、撃墜される零戦を見た。遠くで煙を引いて落ちてゆく機体にも、日の丸が描かれていたように思う。
「三機です……塁を含めて、……今のところ」
まだこれから帰還するのだと信じているように、三上は泣きながら答えた。
今日はずいぶん負けたなと思った。十二機出て三機しか戻らないのでは、三割に届かないではないか。
「俺はもう一度、整備場に戻ります。塁は休んでいてください。あとで分隊員が来ると思うので」
三上は出撃のときにいたからもう休みの時間のはずなのに、まだ仕事をしているということは、帰還してきた機体がよほどひどいに違いない。
心配そうに抱きしめてくる三上を、塁は鉛が詰まったような重たい腕で抱き返した。それをきっかけに、はなをすすっていた三上がすすり泣きのような呼吸をした。鉄錆のにおいに交じって血のにおいがする気がする。
「――――塁……塁は――……」
そういうが、三上はその続きを言えない。
思わず塁は囁いていた。
「俺は、必ず帰ってくる」
「……はい」
三上の髪を撫でながら言うと、三上は頷いて、静かにまた塁を床の上に横たえた。
「行ってきます。遅くなるかもしれませんので飯を食ったら、先に休んでください」
そう言い残して三上は寝所を出ていった。
身のない嘘をつくとはこういう気持ちかと、塁は思った。
そして真実にならない嘘を聞かされると傷つくことを思い出して、自分は三上を傷つけているのだろうかとも考えた。

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